昔に比べて、今はゲームの世界も大きな進化を遂げてきました。
映像などのクオリティはもちろんだし、機器も高度化や小型化をされ、家でも外でもどこでも遊べるし、ネットワーク対戦で相手はいくらでも見つかります。
本当に、ここ十数年で考えられないくらいの進化です。
そしてeスポーツ分野も活性化しており、プロゲーマーという職業も今では耳に馴染んだものとなっています。
そのプロゲーマーは例外にあたるかもしれませんが、ゲームの基本スタンスは「遊ぶこと」。これは、数十年のゲームの歴史の中で変わっていません。
楽しい、面白い、ワクワクする。そういった感覚を提供してくれるのがゲームです。
では、ゲームはどのような時に遊ぶでしょうか。
何かの待ち時間に。
電車に乗っている時に。
友達と遊ぶ時に。
一人の自由な時間に。
主には、暇つぶしだったり交流だったり趣味として、という感じですね。
これらを総称すると、「余裕がある時」と言えるのではないでしょうか。
ものすごく忙しいとか、
追い詰められていて余裕がないとか、
気持ちが沈んでいてやる気が起きないとか、
そういう時にゲームはあまりプレイされないのではないでしょうか。
もちろんそのような状態を否定しているわけではなく、その時々の状況でできるだけ心地の良い選択をしていくことが良いと思います。
ただ、今ゲームをプレイしているという事実。そこには、お金に余裕があるとか、時間に余裕があるとか、ゲームを買える、周囲に恵まれている、手足が自由、目が見える、平和である…など様々な基盤があって成立しているということです。
極論、ゲームがなくとも人は生きていけるでしょう。遊びが心を潤すということはあると思いますが、生きることはできます。
でも今、ゲームをプレイしている、できるという事実。必須でないのに、それができるという事実。これは幸せな基盤が成り立っているからだという他ありません。
だから、ゲームをする時はその幸せに目を向けて噛み締めていきたい。
もちろんゲームは楽しい。いや、もしかしたら悔しいとか、何かを得ようとしてストレスを感じることがあるかも知れない。
でも、それを目指している状況が発生していること自体、幸せな海にいることの裏返しでもある。
そこに目を向けて、波動を上げて、良い状況でも悪い状況でもそのゲームを楽しみたい。
そんな風に楽しむことができたら、時間が経って思い返した時に「あーあのゲーム楽しかったなあ」ときっと思える。より思える。
それは「あのゲームで時間無駄にしたなぁ」といった後悔ではなく、ただ「人生を楽しんだのだ」という満足感。
人生には意味を求めがちで、「こんなゲームやってて意味あるのか」という話もよく降ってきますが、でも一番大切なのは周囲に認められる行動ではなく、自分が満足できる行動ではないでしょうか。
意味があるのかなんて、わからない。何かの役に立つかもしれないし、立たないかもしれない。でも、自分が最も満足することを選択する。満足するように、遊ぶ。
そう、だってゲームできてるだけで幸せなんだから。